
カバーがもう1枚ついていました。

そのカバーを開くと、、、高松美咲さん描きおろし全面帯でした。

付録の小冊子

Amazon.co.jp: 恋文の技術 新版 (ポプラ文庫 も 3-2) : 森見 登美彦
京都から遠く離れた能登の実験所に飛ばされた大学院生・守田一郎。
文通修行と称して京都の仲間や家族、
家庭教師先の少年、作家の森見登美彦らに手紙を書きまくるのだが、
本当に想いを伝えたい相手には書けなくて...
~ もくじ ~
第一話 外堀を埋める友へ
第二話 私史上最高厄介なお姉様へ
第三話 見どころのある少年へ
第四話 偏屈作家・森見登美彦先生へ
第五話 女性のおっぱいに目のない友へ
第六話 続・私史上最高厄介なお姉様へ
第七話 恋文反面教師・森見登美彦先生へ
第八話 我が心やさしき妹へ
第九話 伊吹夏子さんへ 失敗書簡集
第十話 続・見どころのある少年へ
第十一話 大文字山への招待状
第十二話 伊吹夏子さんへの手紙
あとがき/読者の皆様
新版あとがき/読者の皆様
別冊小冊子 我が文通修行時代の思い出
~ なるほどな一文 ~
おっぱいというものは、なぜそんなにも男たちを右往左往させるのであろうか。
あんな、ちょっとしたふくらみに過ぎないものが、なぜ男の理性を支配するのか。まったく理解できない。理不尽である。不条理である。これは何かの呪いであろうか。おっぱいは我々の目前にデンと居座り、我々の精神を束縛する。我々はおっぱいに目を曇らされている。おっぱいは世の真実を覆い隠している。これは自由を求める戦いなのだ。おっぱいによる支配を一掃してこそ、真に人間による魂の交流が可能となる。我が手に自由を!(P128)
~ もう一つなるほどな一文 ~
こんなことを手紙に書かなくてもいいような気もする。でも、書かなくてもいいようなことを書くのが手紙というような気もする。(P221)
これで、、、2007年07月13日以降(6631日)、、、
読んだ本 1429冊 (1日平均0.22冊)
読んだページ 375210ページ(1日平均56ページ)
atasinti - 読書メーター
森見登美彦先生へ
たいへん面白く拝読させて頂きました。
あたしンちのおとうさんより
以前、もくじに「~への手紙」というのが並んでいる本を読んだことがあります。
あれは何だったか、そうだ、新約聖書です。
ということはこれも聖書だったのか!?
そんなことはない・・・
別冊の小冊子にすべてがつまっていました。
考えてみればもう長いこと、手紙を書いていません。
いや、そもそも、これまで生きてきて、手紙らしい手紙を書いたことがあったでしょうか?
もちろん封書を出したことはあります。
しかし用件だけ書いて、大きく空いた余白に絵を描いてごまかしていた気がします。
いつからか、それさえもやらなくなって、メールですますようになり、、、
メールさえも面倒になってLINEでひとこと、、、
ひとことさえ面倒になってスタンプポン、、、
そんな時代だからこそ、手紙というものが見直されてもいいのかもしれません・・・
と言っても私には手紙を出すような相手はおりませんけど。。。
文通という言葉で思い出すのが、一昔前の少年少女向け漫画雑誌の後ろの方のページの下の方にあった文通募集欄。
名前と住所が書いてありました。
個人情報だだ洩れの時代。
いつ頃まであったのでしょう?
あの頃はファン同士の交流もお手紙が主流だったのでしょうか。
しーゆー。
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